日々、是好日

話し出すと止まらなくて最近愛が溢れすぎてる

香取慎吾が放つ儚さについて

今日は唐突だが、香取慎吾の放つ儚さについて、というお話をしたくなったのでする。

 

ジャニ垢をTwitterで作ってから、リア友に遠慮することなくジャニーズネタを呟けるので、それに乗じていろんなジャニヲタさんたちをフォローしてみた。

その中の一人が、逸材とも言える男性ジャニヲタ、榎田さん。その中にこんなツイートがあった。

そして、流れ着くままに彼のブログを拝見し、香取慎吾に関するある記事を読んで、大いに納得してしまった。 

それはもう、私がなんとなく彼に感じていた違和感をそのものを全て言語化してくれていた。じゃあ書く意味あるのか私は。

でも慎吾を応援し続けて19年になる私だからやっぱり書きたくなった。

勝手にブログ見て勝手に感動してるいちフォロワーでリプを送ったこともないけれど榎田さん話題をありがとう。

 

さて、彼のブログにも挙げられていたいいとも最終回について。あの挨拶は私もリアルタイムで見ていて、ハラハラしてしまった。

 

「…ちょっと我慢できずに言います、答えはいらないですけど、そもそも何で終わるんですか」

 

彼はいいともが終わることに対して、泣きそう、とずっと言っていた。そうとう彼に与えた影響が大きい、というか彼の生活の一部だったんだなと思った。この一言を聞いて、いいとも!を終わらせた人たちに対する香取慎吾の最後の反抗だと思った。

生放送で、しかも全国民が、全レギュラーが見ているあの場で、タモリさんへの挨拶、と称して、スタッフへの怒りをぶちまけていた(きっとあれを言ってもタモリさんは許してくれるという信頼があったのだろうけれど)。こんなこと、テレビで言ってもいいのか?と心臓がバクバクした。放送事故になるんじゃないかと本気で心配した。でも、裏を返せば彼はこうすることしか反抗ができなかったのだ。どうにもならないこの事実を受け入れるしかなかった慎吾が、感情を爆発させた瞬間を見た。

 

言っておくが、彼は10歳から「SMAP香取慎吾」として生きなければいけなかった人間だ。

今でこそ、ジャニタレがかなり若年化していて、いつだか見たらジュニアのなかに7歳という子がいた(記憶)。そんな子がゴロゴロいるようになった。

でも、アイドル・香取慎吾が生まれた90年代は、ジュニアそのものが今より断然少ない。同世代の仲間がいない中に、大人たちの中に放り込まれ、「芸能界の事情」を見てきたはずだ。大人たちの事情で、自分の気持ちなどお構いなしに進んでいく物事を、10代の頃から間近で見てきたんだと思う。どうにもならないこともある、ということを。

 

だからいくつもの冠番組で見る慎吾は、どこか諦めているというか、淋しい雰囲気をまとっているし「仕事をこなしている」感がとんでもなく溢れている。もちろん笑顔は忘れないし、彼も仕事中は笑ってやってるけれど、どこか本物の笑顔とは程遠い感じがする。たぶん、本人は楽しくやってると思うけど、客観的に見るとそんな感じで見えるときがある。(それを悪いと言いたいわけじゃないよ)

 

もちろん、今のジュニアにもそういう大人の事情に呑まれるときはあると思うけど、周りの大人達の対応というか、ジャニーズそのものに対する対応?がきっと全然違ったと思う。おっきく言うなら男性アイドルに対する目線が。すまっぷはデビューしても「ジャニーズで一位を獲れなかったグループ」としてレッテルを貼られて、「どうして一位じゃないの?」と怒られる毎日で、必死にどうすればいいかもがいてきたんだろう。そう考えると、今の子たちは先輩の敷いてきたレールと基盤の上でだいぶ助けられてるのかな。(それが悪いわけじゃないよ)

 

話がずれたけど、SMAPは「終わらないアイドル」としてのいばら道みたいなものを切り開いてきたもはや原始人ぐらいの勢いである。だからきっと、一般人にはよくわからないいろんな芸能界の事情を間近に見てきて、幼少期にして悟るしかなかったのかなと思う。結果として、そういう事情全部を”オーラ”として発している慎吾が放つ笑顔は、とても儚いのだと思う。コンサートや歌番組だったり、本当にキラキラして「愛してるよー!」という慎吾の一言はとても儚い。「女の人なんてこんな一言いってればいいんでしょ」という転がしている感じでもなく、そういう苦渋の道の中で身につけてきた自分自身のオーラみたいなものがその一言と笑顔に儚さを増していると思う。

 

ついでに言うと、香取慎吾は、滅多なことがない限り芸能人とアドレス交換をしない。今はわかんないけど、SMAPのメンバーさえ知らない時期もあった。まるで芸能界そのものから距離を取るぐらいの勢いで。同じジャニーズでも、嵐は仲のいいグループとして認識されていて、そんな彼らを好きな人たちからしたらSMAPの距離の取り方は異常に見えるかもしれない。「仲悪い説」もたくさん出回るわけである。でも、もし自分が10歳から、大人がたくさんいる仕事現場でしか会わない人たちとグループを組んでやれ、と言われたらそれは仕事仲間にしかならないのかもしれない。それに、そこでしか会わない人たちはあくまで「仕事仲間」何だと察する。少なくとも香取慎吾はそうだったと思うんだ。うん。そういう育ってきた背景が、「芸能人と連絡先を交換しない」香取慎吾のスタンスを作り出したと私は考えている。

 

さらについでなんだが、彼は「俺10歳からSMAPだから」というのを何度も口に出すようになった。10周年を超えたあたりから。「そうなるしかなかったんだよ、俺は」とその背後に吹き出しが入りそうな勢いである。少し大人になって、今までの自分が歩んできた道を冷静に見れるようになったのかもしれない。それでも出てくるのはその言葉しかないんだと思う。そしてそれは香取慎吾というアイデンティティそのものであり、彼のプライドなんだとも思う。

 

儚さについて語るつもりがなんだか別の方向まで行ってしまった。卒論を中断してでも書きたかった記事がこれかよ。