日々、是好日

話し出すと止まらなくて最近愛が溢れすぎてる

10年間ハイフンの私が、紆余曲折あったKAT-TUNをどう思うか<1>

 

ブログって続けるの難しい。(笑)

マイペースに書いていきます。

 

最近、ついぽちっとこの動画を見てしまう。

 

2004年、NEWS(錦戸・内除く、関ジャニのツアー中)とKAT-TUNが、SUMMARYというミュージカル劇(というかコンサートというか)をやった。詳しくはこちらを。

SUMMARY - Wikipedia

上の動画はそのOP曲を少年倶楽部で披露したものである。

 

何たる美しさ…!!!!

 

少クラ版ではなく、こっちの本編で見ると、20そこそこ、いや半分は10代の美男子たちが、手を繋いでサークルフライングをするのである。HSJ版でも受け継がれている演出で、まだ声変わりが完全に終わっていない、今よりも少し高めの声で歌う青年たちが手を繋いで羽ばたくその姿は、ただただ美しいとしか表現できない。私もその中に入りたい、いやおこがましくてデキないから見ているだけでいい。それほど美しい。といいつつ私のボキャブラリーが少ないだけかもしれない。

 

というのはさておき、これから私はKAT-TUNのお話をしたくてこの記事を書いている。

無事にこの後、2006年にKAT-TUNは華々しいデビューをしていったわけだけど、9年経とうとしている今、このグループにはいろいろなことがありすぎたということはファンでなくても知っている事実だろう。他のグループともまた違った問題というのがこの人たちには起きすぎた。そうして、それが起こるたびにハイフンは追いついていくのに必死で、不安定なこの人たちについていけるのか、これからどうなるのか、もう不安で仕方ない気持ちだったことを今でも覚えている。というわけで、いちhyphenの私が、10年間紆余曲折あった彼らについてどんな感情で見つめていたかをここに書いておきたい。

 

2005年~ KAT-TUNブレイク期

ちょいちょい2004年から好きアピールをする(誰に)私だが、はっきりいってごくせん出である。永遠の新規と揶揄されるあの時期である。悔しい。でもそれから10年そのまま追っかけてるのだから許してほしいよね全く。

まあその問題は置いておいて、私にとってhyphenの入り口は、スーパーキラキラアイドルの赤西であった。あのころの赤西君は、ワイルド路線ではなくて時々脱力アイドル系男子だったので、矢吹というチャラ男くんにキャラがはまりすぎていたのと、とにかく画面から放出されるフェロモンがダダ漏れだったのでもうそれにやられて赤西担にまんまとなってしまった。矢吹がそのまま赤西だと錯覚してしまった時期。半分当たっているだろうがな。松潤司会の歌バラエティに放り込まれ、不器用ながらコントにも挑戦する彼にコロッとほれてしまった。だってかわいかったんだ。ワキャワキャする彼らが本当にかわいかったんだ。その中心にいる赤西がかわいくてしょうがなかったんだ。ま、21歳だったからな。ルックスも、周りからのチャラ男キャラ扱いも、それに対応するフランクな赤西も本当に最高だった。少年倶楽部での赤西を見ていると、まさに一番アイドルだったころの赤西仁がそこにいる。

この頃好きになったので、そこから急いで神サマーDVDと海賊帆DVDを手に入れて、海賊帆に至っては20回ぐらい見た。なんだかんだ言って私はあのライブが今までのKAT-TUNライブで一番好きだったりする。

そのころのKAT-TUNは「亀梨と赤西とその他」のような配置にどうしてもなってしまっていて、まあ仕方ないかな、という印象。デビューもしてなかった上、ごくせんが社会現象、とまではいかなくともちょっとしたブームを巻き起こしてしまった以上、メディアが売り出したいのは亀梨と赤西だろうことは容易に想像できる。雑誌で彼らを表紙に飾れば飛ぶように売れるだろうし、グループとしてもファン獲得の入り口がそこになるだろうからね。花男松潤が新規嵐ファンを獲得したようにね。

キラキラ輝くアイドルとしての赤西を好きでいつつ、徐々に他のメンバーのよさやキャラも知って(上田くんに妖精が見えたという、聖が金パメッシュで手越みたいなアイドルヘアーをしていたあの時期)、ワイルドだけどおもしろくて時にキラキラ可愛いアイドルとしてのKAT-TUNがそこにいた。王道のジャニーズキラキラをまだ受け継いでいたKAT-TUNだったと思う。

 

2005年秋 亀梨の先行デビュー

「もう少しでデビューか!?」と噂される頃、ちょっとした事件が起こる。亀梨が「修二と彰」として当時NEWSだった山下とシングルを出してしまったのだ。野ブタでね~あれよかったね~裏のある役いいよ~亀にゃん という話はさておき。

いや、「事件って言うほどでもないっしょ?」と思うかもしれないし今となっては昔話だが、当時は非常にデリケートな問題だった気もする。私が勝手に心配していただけかも。それとしても、今まで何とか一緒にやってきたメンバーで、しかもまだデビューもしていない奴らのうち、ドラマ企画とはいえたった1人だけがピックアップされて先にデビューしてしまうなんて、他のメンバーはどう思っていたのかな、ちょっとギクシャクした雰囲気になったりしなかったのだろうか、と勝手に心配していたし、「他の5人はどうなんじゃい!!!!」と怒った記憶がある。

期間限定のユニットでデビューということはなくもない。例えば2004年には、映画企画でTOKIOから国分太一、Kinkiから堂本剛が「トラジ・ハイジ」としてシングルをリリースしている。それでも、彼らはデビューして何年も経って、安定したファン層があって、一般の認知度も高くて、という背景があってのデビューなのである。

まあ心配したところで実際ドラマは大ヒット、「青春アミーゴ」はその年唯一のミリオンヒット(たしか170万枚)になった。赤西担だった私にとっては、嬉しくも悲しいというか、悶々した気持ちで彼の活躍を見つめていた。華々しい「亀梨だけ」のデビューだった。

 

2006年3月~ 激動のデビュー1年間

亀梨の衝撃先行デビューから約3か月、2006年1月末に、KAT-TUNのメジャーデビューが発表され、3月22日にいよいよデビュー。私はシングルアルバムDVDセットのスペシャル版みたいなのを手に入れた。高かったのに1度しかDVD見てない気がする。もったいねえ。いまだと3点セット特別版がブックオフで108円で買えるからぜひお買い求めくださいな。

とまあ、今まで通り、赤西と亀梨中心ではありながら、KAT-TUNはその人気に乗じてメディア露出が更に加速していった。スカパーも任天堂もドコモもロッテもみんなKAT-TUNだった。1年目からその年の24時間テレビのメインパーソナリティーにも起用されていた。今考えると異常だ。事務所どれだけ売り込んだんだ。でも、今のキスマイやらセクゾやらよりの売り方よりは、需要があったから出していた感じがする。贔屓してる?

You&Jが発足したのもこの頃。「若手3組」と呼ばれるNEWS・関ジャニKAT-TUNの3グループ合同のFC。超お得だよね、一口4000円で3Gのライブ行けるんだもん。なのに結局KAT-TUNしか私行かなかった。もったいねえ。

 

KAT-TUNの最初のターニングポイントも、この年。1度目の赤西の「語学留学」である。「脱退は頭にないが、戻って来るかは状況次第」という言葉を残してロスに旅立ってしまった。「脱退はするつもりないのに、戻ってくるかはわからないの?」という憤りと不安とが入り混じった感情が渦巻いてた14歳のわたし。何より、本当に戻ってこない気がするから怖かった。デビューしたというのに、注目され始めてからの赤西は、ダンスでちゃんと踊らないし、歌でしか勝負しないし、コンサートのMCもつまらなそう。歌番組でも積極的にしゃべらないから、「こいつ本気あんのか?」って思ってた。だから、このタイミングでいなくなるのはちょっとヤバいと思っていた。

 

赤西担なのに、赤西がいないKAT-TUNKAT-TUNは大好きだけど、赤西がいないのは大幅に何かが欠けてる気がする。だからそんな中でリリースされた「僕らの街で」はあんまり好きになれなかった。今でこそ大好きだけどね!だって小田さんだよ小田和正だよ!どれだけすごいことか分かってなかったあの頃の私。「早く戻ってきてよ!」と思っていた。

 

 

また長くなりそうだし書き終える気がしないのでとりあえず<1>ということで。