日々、是好日

話し出すと止まらなくて最近愛が溢れすぎてる

10年間ハイフンの私が、紆余曲折あったKAT-TUNをどう思うか<2>

だいぶ間が空きました。すみません。ここ3、4か月何をしていたかというと

社会人デビューしました。

無事就職した先で、バリバリOJTで育てられています。新入社員でかつマイペースな自分のことだけで精一杯の奴なのに何をどうアクロバットしたのかは分かりませんが、いわゆる「秘書課」の配属となりました。わたしまだ全然会社のことわかってないのに。というわけで、毎日行って帰って死んだように寝ていました。ジャニーズには浸っていたのでご安心を。

 

 

本題に戻る。ただ唐突に、KAT-TUNについて語る記事第2弾。前回のはこちら



前回は、KAT-TUNの最初のターニングポイントとなった赤西の第1回目の語学留学までを書いてみました。今回は続きから。

 

2007年4月~ 赤西帰国、グループ活動再開

あっという間に戻ってきた。なんかすごいいない気がしていたけどたった半年?ぐらいだった。突然の帰国会見は食い入るように見ていた気がする。心なしか、ちょっとやる気も戻ってきてちゃんとやっているように見えた。そしたら仙台公演で戻ってくるという。東北在住のわたしは仙台公演に毎度参加していたので仙台はとても大事で、そんな大事な公演から赤西が戻ってくるという。「まじかよ!まじかよ!」と担当の再来を喜んだ。

赤西は、秋には「有閑倶楽部」の主役にも抜擢されて、珍しく彼がしっかりと踊っている「Keep tha faith」がリリースされて、「お、赤西いい感じジャン!このままやる気ある感じでがんばってよ!」と思っていた。赤西はかっこよくて大好きだったけど、アイドル活動にやる気のない赤西は見たくなかったから、この傾向はよかった。

 

2008年~ 赤西の失速、他メンバーの売り込み

復帰の1年はそこそこよかったけど、どんどん「元の赤西」に戻っていってしまったような気がするのがこの時期。あのやる気ある赤西はどこへ行ってしまったのだろうか。コンスタントに亀にゃんはドラマに出続けていたけど、あんまりヒットはしていなかった。でも個人的に、音楽はかなり良かったと思う。KAT-TUNⅢ-QUEEN OF PIRATES-』な!!!!!!!!!わたしのかつんアルバムランキングで第3位には入る。たぶんOUR STORYが好きすぎた。あの曲の儚さというかさわやかさがたまらん。

やる気がなくなっていく(ように見えた)赤西に反して、他のメンバーの売り出しが始まってくるのもこの頃。亀梨はともかくとして、田中聖特急田中3号に主演してたり(2007年)、必殺仕事人に出始めたり、中丸がレスキュー主演してたり。相変わらず田口と上田はメディア向きではなかったのか、そんなにドラマとかはやっていなかったけど、赤西・亀梨の2大押しからだんだん抜けてきた時代。亀のドラマは見るようにしていたけど、他は気が向いた時しか見てなかったな~…ごめんねかつん。ちょっと嵐に浮気しすぎた。

赤西は、脱退前1~2年ぐらいからは冠番組でもやる気なさげだし、ライブのMCではしゃべらないし、「なんだこいつ?」と憤りを覚えるぐらいには赤西から離れていた。「他のみんなは頑張ってるのに、お前のムードでぶち壊しだよ」と思いつつ、一度やる気のある状態に戻った(2007年の復帰)ときを知っているから、もしかしたらあの赤西に戻るときもあるかもしれない、というちょっとした希望もあった。

 

2010年 赤西の脱退、KAT-TUNの第2ステージ始動

わたしは正直この頃の記憶があんまりない。嵐ファンになって4年目で相葉くんラブな状態であったのと、KAT-TUNの露出がだんだん減ってきていたから。歌番組ぐらいでしか見なくなっちゃったんだよね。とかいいつつ80%の理由は嵐にうつつを抜かしていたからです。すみません。露出少なくなったとかたぶん私が見ていないだけだ。

だから、赤西が抜けて「NO MORE PAIИ」が作られたのかと思ったら、赤西まだ在籍していた。この間「赤西抜けたあとだっけ?のーもあぺいんって」と聞いたら「違うよ!」と上田担の友人に指摘されびっくり。ちなみにこの5人の再始動アルバムは好きなアルバム第2位である。

とはいいつつ、赤西の脱退が正式発表されたときは「よかったじゃんやる気ないやつがいなくなって」と思った反面、「裏切られた」っていう気持ちも強くて、修理に出した自転車屋さんの前でほろり涙した高3の夏。

この年はワールドツアーもやってたんだね…記憶ないよごめん…

 

 

ちょっとまた一区切りしよう。